全国スーパーマーケット協会が3年ぶりに高千穂大学(東京都)で寄付講座を開講した。協会が流通業界の第1人者を毎年約10人招き、大学で講演を行ってもらう企画。大学側にとっては経営学の授業の位置づけで、学生のみならず、大学のある杉並区の住民なども聴講が可能だ。同協会が日本セルフ・サービス協会だった2006年に第1回を開講して以来、19年までで13回を数える。

 コロナ下の2年の休講期間を経て迎えた第14回は、9月27日に登壇したイタリアンレストラン「ラ・ベットラ」の落合務シェフを皮切りに、12月20日のニップン佐藤良樹営業企画室長に至るまで、計11人の講演が予定されている。すでに開講された回では、講演内容に耳を傾けながらメモを取る市民の姿や、講演後、講師に積極的に質問する学生の姿が印象的だった。今回はその中から2人の講演内容を紹介する。

イートアンドホールディングス 仲田浩康 代表取締役社長COO/「ワクワクする未来を生み出し続けるために」食文化と共に進化する両輪・両利きのビジネスモデル

 当社は1969年、「大阪王将」の1号店を大阪の京橋にオープンしました。その後、2001年に冷凍餃子の販売を始めまして、現在、我々の事業は外食事業と食品事業の2つが中心となります。

 両利きの経営という言葉があります。会社というのは既存の事業領域で成長していこうとします。例えば食品スーパーさんなら店舗を増やし、新しい商品を取り入れてお客様をたくさん呼ぼうとしますよね。収益基盤を強化するために「深化」させていくわけです。両利きの経営は、これに加えて新しい収益基盤を創出するために「探索」して、自社の既存の範囲を越えて遠くに可能性を広げていく。要は二兎を追うということです。

 我々もかつては外食事業で深化して、もっと大きくなっていきたいと思っていました。ただいつまでも店舗数は増えていかないということで、今あるものを使って新しい事業領域に進めないか、そこで冷凍食品事業への進出を考えたわけです。

 もちろん最初はうまくいきませんでした。東京では大阪王将の店舗を出店し始めて、知名度と共に冷凍餃子を扱っていただける会社さんが増えていきました。大きく飛躍できたのは05年にたれ付き餃子を発売してから。外食ではたれを付けて餃子を食べる人が圧倒的に多いのに、冷凍餃子にたれを付けて売っている会社が1社もなかったんですね。それでたれを付けたのですが、これで大きく販売数量を増やすことができました。

 販売数量が増えたことから、今度は冷凍餃子を自社製造に切り替え、12年には群馬県板倉町で関東工場も稼働させました。いまや我々の利益の源泉は工場です。14年には羽根つき餃子もデビューさせました。それまで餃子といえば羽根がついていないものが当たり前でしたが、アイデア会議の中で、羽根つき餃子を家で簡単にできたら楽しい、そんな餃子ができないかという話になりまして、我々の開発スタッフが本当に短期間で作ってくれました。

 実は我々の開発部隊は20名弱です。大企業さんは数100名と開発する人数の規模が全く違う。ただ我々の良いところはアイデア会議で出た開発商品を翌日から開発に移せるところです。小さな会社は小回りが利く。それが我々の強みかもしれませんし、食品業界でもそういった会社が脈々と力強く経営なさっているのは、市場環境に対応できる強さがあるからだと思います。

 生き残るのは強いものでも賢いものでもなく、変化に対応できるものだとよく言われます。事業の深化はできても、探索となるとなかなか知恵が出てこない。既存の設備、人、技術を生かして事業領域を広げていくことは至難の業です。この先も小さい会社ながら、歩みを進めていきます。

ユーグレナ 出雲充 代表取締役社長/僕はミドリムシで世界を救うことに決めました

 今日は、イノベーションをどのように起こしていくのか、また、ベンチャー企業やミレニアル世代、Z世代の若者が何に生きがいや働きがいを感じるのかについて、私とミドリムシの出会いを通じてご紹介します。

 大学時代、私は、グラミン銀行のインターンシップに参加するために訪れたバングラデシュで、飢えないだけの穀物はあっても、それ以外の食物がないために栄養失調になることを知りました。しかも、そうした栄養失調の人は、世界に10億人もいる。この問題を解決したいと考えた私は、帰国後、効率よく栄養を摂れる食材を探し回り、出会ったのが植物プランクトンのミドリムシでした。

 ミドリムシは人間に必要な栄養素をすべて持つ理想的な素材ですが、大量培養は不可能だと言われていました。実際自分でやってみても、1年かけて100gしか培養できなかった。しかし、そこで諦めたら栄養失調の人は救えません。情報もほとんどない中、失敗を繰り返した結果、ようやく2005年に大量生産にこぎ着けたのです。

 そうなると次は商品化です。私は事業計画書を持って、提携先探しに乗り出しました。しかし、知名度も実績もないベンチャー企業の提案に興味を示すところはありません。2年間、500社に働きかけ、そのすべてに断られました。しかし、501社目に訪問した伊藤忠商事さんが興味を示してくれ、提携が決まったのです。これを機に商品化への道が開け、今では健康補助食品から化粧品、ジェット燃料まで様々な商品を開発しています。大学発ベンチャーとして初めて一部上場も果たし、バングラデシュの子供たちにも、栄養バランスが取れた給食を毎日1万人分届けられるまでになりました。

 今、日本は世界の中での存在感が低下していますが、理由の一つには、創造的な企業が育たないことがあると思います。そしてその背景には、リスクを取ってチャレンジする人を応援しようという企業や人が極めて少ないことがあります。唯一無二となるような価値を生み出すためには、気の遠くなるような数の失敗が必要です。社会課題に関心を持ち、それを解決したいという若い世代がそうした膨大な失敗を恐れずチャレンジし続けるためには、それを支える人の存在も重要です。

 私が失敗を重ねながらミドリムシの大量生産にこぎ着けたり、500社に断られながら諦めずに挑戦できたのは、世界から貧困を一緒に無くそうと語ったグラミン銀行創設者のムハマド・ユヌス氏の存在があったからです。そして心が折れそうになった時は、ユヌス氏から贈られたTシャツを見て、初心を思い出しました。上の世代の人たちには、ぜひ、チャレンジする若者を応援し、彼らがその思いを持ち続けるための何かを彼らに贈っていただきたい。それが社会に新しい価値を生むことにつながるのですから。