IT投資は、自社のオペレーションやマーケティングの効率化に何らかの好影響を与えると一般的に考えられている。しかし、実際にIT投資を積極的に行っている企業は少ない。その主な理由は、IT投資によって得られる効率化の効果が、投資に見合うという確信を企業が持てないためである。本稿では、IT投資を積極的に進めてきた銀泰百貨における各店舗のITサービスに対する反応の違いを通じて、小売業とIT投資の関係を考察する。

アリババから始まったITツール進化の流れ

 銀泰百貨のデジタル化は、2014年にアリババグループと戦略的提携を結んだことを契機に、本格的に始動した。

 まずは、オンライン上での店舗案内や商品販売を可能にするモバイルアプリ「喵街(ミャオジエ)」を15年にリリースした。さらに16年3月にはシステム開発を担う浙江蓮荷科技有限公司を、同年6月には売り場空間に存在するアナログデータ(来店客の属性、回遊ルート、購買行動、従業員の接客動作など)をデジタル化するための浙江深象智能科技有限公司を設立した。

 こうした一連のIT投資からより大きい成果を引き出すために、17年から銀泰百貨は商品、顧客、従業員、および売り場空間などに存在するアナログデータのデジタル化活動を大々的に行った。この取り組みと並行して、データの集計や整理、外部ツール(例:Ding Talk)の活用を可能にする「MOSシステム」も開発した。その後はMOSシステムに集まったデータを利用した分析提案型AI(社内名:Chat@韬略GPT)や顧客への商品販売やコミュニケーションを自ら実施するコミュニケーション型AIなどのITツールも開発した。

 現在では、テナントの従業員から店長、本社スタッフ、さらには社長に至るまで、これらのITツールが幅広く活用されている。

スタンダード店に合わせたシステム開発

 第1回の連載でも紹介したように銀泰百貨は61店舗を有し、23年の売り上げは約317億元を記録している。店舗は浙江省を中心に展開しているが、北京市、湖北省、安徽省、陝西省、福建省、広西省などにも出店している。当然、各店舗にはそれぞれの特徴がある。しかし、各店舗で個別のシステムを開発するとコストが非常に高くなり、店舗間での情報共有も困難になる。そこで、銀泰百貨は共通の店舗特性を持ち、かつ店舗数の多いタイプに合わせてシステムを開発している。

 百貨店の分類方法は多様であるが、ここでは説明の便宜上、取り扱う商品に基づいて三つに大別した。

 一つ目は、ファッショナブルな商品や一般的なラグジュアリーブランド(Affordable luxury)を中心に扱うスタンダード店、二つ目は、高級から超高級ラグジュアリーブランド(High-end luxury)を中心に扱う高級ラグジュアリー店、三つ目は、大衆向け商品やファッショナブルな商品、一般的なラグジュアリーブランドを扱う大衆店である。

 銀泰百貨の多くの店舗は、スタンダード店に分類される。そのため、同社のシステム開発はこれらの店舗に合わせたITツールを中心に進められている。スタンダード店の代表例としては、杭州市の武林銀泰百貨や陕西省の西安鐘楼開元商城(冒頭写真)が挙げられる。

 西安鐘楼開元商城の韩晓梅(カンギョウメイ)店長によれば、銀泰百貨がデジタル化されたことによるメリットは多数ある。たとえば、データに基づくコミュニケーションや科学的な意思決定が可能になったこと、日々のデータ動向が把握できるため、早期に行動の修正ができること、顧客との接触が以前より容易になったことなどが挙げられる。

 また、近年の銀泰百貨のITツールは、データの集計や整理にとどまらず、データに基づく解決策の提案も可能になってきた。こうしたITツール(分析型AI)には学習が必要であり、その学習対象は韩晓梅店長のような優秀な店長である。具体的には、開発チームが特定の課題に対して、優秀な店長がどのように思考し、解決策を導き出すかをインタビューによって明らかにし、それをAIに学習させる。そして、テスト運用を通じて完成度を高めた後、全店舗に導入するといった流れだ。

 現在、銀泰百貨のMOSシステムは、店舗の日常運営(商品・顧客・競合の分析および提案機能)、サプライヤーとのコミュニケーション(Ding Talk)、顧客とのコミュニケーション(ミャオジエなど)、さらに売り場のレイアウト変更や店舗開発などにも活用されている。

全てをITで管理するわけではない

 スタンダード店向けに開発されたMOSシステムは、大衆店やラグジュアリー店でどのように活用されているのだろうか。

 大衆店の代表例である仙桃銀泰百貨は、中国湖北省武漢市から西に約80km離れた仙桃市に位置している。仙桃市は、中国にある2843の県レベル行政区画の中で、23年の総合力ランキングで第56位に入るほどの経済規模を持つ都市である。仙桃銀泰百貨は1994年に設立され、09年に銀泰百貨に買収された。店舗面積は16万㎡におよび、大衆品から一般的なラグジュアリーブランドまでを取り扱い、単独店舗で11年連続して年間売り上げ10億元(約2000億円)を超えている。

 仙桃銀泰百貨の刘雅萍(リュウ ガヒョウ)店長によれば、長い歴史を持つ仙桃店が最も重視しているのは、地域とともに生き、良い商品を薄利多売で提供することで地域に貢献することだという。そのため、ファッショナブル商品や一般的なラグジュアリーブランドだけでなく、日本のスーパーマーケットで見かけるような日常的な生活用品も多く取り揃えている。これらの日用品の多くは買い取り仕入れによって調達されており、全体売り上げの40%を占めている。

 この仙桃店をスタンダード店のITツール活用と比較すると、以下の特徴が見られる。

 第1に、集客用の低価格目玉商品にはSKUレベルでバーコードが設定されていない。第2に、すべての商品がオンライン(ミャオジエなど)で販売されているわけではない。

 仙桃店では良い商品を薄利多売で提供するため、工場からの直仕入れを多く行っている。そのため、大量の商品に対して自ら商品タグを付ける必要があり、費用を考慮して、低価格目玉商品にはデザイン/色/サイズ別のSKUレベルではなく、デザイン別のみでバーコードを付けることもある。

仙桃銀泰百貨

 オンライン販売を行うには、商品がSKUレベルで分類されていることに加えて、常に正確な在庫状況が反映されている必要がある。銀泰百貨の他店舗では、正確な在庫数を算出するために、日々または3日に一度の在庫確認を行っている。これは、高価格帯の商品を扱っているため、出入庫や在庫数が比較的少なく、管理がしやすいからである。しかし、薄利多売の商品も扱う仙桃店にとっては、日々正確な在庫数を出すことは非常に手間がかかる。さらに、商品単価が低いため、得られる利益も少なく、結果としてオンライン販売を最初から行わないという決断を下している。

 一方で、合肥銀泰中心は銀泰百貨の中でも数少ない高級ラグジュアリー店の一つである。店舗は安徽省の省都である合肥市に位置し、同市の人口は1000万人、GDPは1兆3500億元(約27兆円)に達している。この額は都道府県別GDPで見ると埼玉県(約24兆円)と神奈川県(約35兆円)の間に位置する。このような都市には通常、高級ラグジュアリー店が1~2店舗程度存在する。その理由は、都市に進出している超高級ラグジュアリーブランドの数に比例するためである。

合肥店銀泰中心

 合肥銀泰中心の郭(カク)マネージャーによれば、合肥銀泰中心に入居している超高級・高級ラグジュアリーブランドは、それぞれ自社で顧客情報管理システムを持ち、顧客へのアプローチも成熟しているため、銀泰百貨のMOSシステムがもつ機能を積極的に活用しているわけではないという。

ITツールはあくまでサポート役

 このように、銀泰百貨は長年にわたるIT投資により、従来の百貨店が持つ「商圏」という概念を打ち破り、オンライン売り上げでも全体の約25%を占める成果を上げている。また、従業員による商品統計やデータ整理、意思決定に必要な時間を大幅に短縮し、顧客との接触機会を増やしている。さらに、現代社会におけるSNSの多用に対応し、さまざまなSNSを通じて顧客へのアプローチも可能になっている。

 とはいえ、これらのITツールへの投資がすべての店舗に合致するわけではない。銀泰百貨への取材で特に印象的だったのは、あるスマート運営(中国語:数智運営)責任者(得壹)の言葉である。「ITツールはサポート役であり、主役ではない。だからこそ、私たち開発者にとって最も重要なのは、現場で使いやすいツールを開発・改善し、より多くの人に活用してもらうことだ」と。この言葉の通り、銀泰百貨の各店舗へのインタビューでは、マネジメント層がエンジニアとITツールについて議論したり、エンジニアが開発のためにしばらく現場に常駐したという話が頻繁に聞かれた。

 AI時代を迎えた今、効率を維持し続けるには新たなIT投資が不可欠であり、かつての工業化時代における機械への投資と同様に、IT投資額は今後も増加・継続していく必要がある。その投資方針も、一度導入したらそのまま使い続けるのではなく、自社の効率向上のために絶えず改善を重ねていく必要があるだろう。

 本連載は、銀泰百貨のCTO・熊超氏、阿邬氏、春灵氏、得壹氏、束晴氏、万萍氏、百先氏、泽秋氏、宇甜氏、韩晓梅氏、刘雅萍氏、危萍氏、刘念氏、觉奥氏、元銀泰百貨の朱珠など、多くの方々が貴重な時間を割き、丁寧にご回答いただいた内容をもとに作成されています。心より感謝申し上げます。また、インタビュー内容の事前打ち合わせや、被インタビュー者の選定および交渉に多大なご尽力をいただいた広報マネージャーの李燕君氏と唐雅倩氏にも、深く感謝申し上げます。

 

著者:秦小紅(左、共立女子大学ビジネス学部専任講師)、成田景堯(右、松山大学経営学部准教授)