島の人口減に留まらず、離島が抱える問題がこれほど多く、国家の安全保障にまで及ぶとは寡聞にして知らなかった。対馬はお隣韓国とは指呼の間。韓国からの観光客も多いが、大陸・半島からは大量のごみが漂着という社会問題も発生している。その解消にも乗り出すとあっては、まさに究極の離島振興活動と言えそうだ。インタビュアー・栗田晴彦)
人が住むことで国境を形成する
――20年4月に社団法人を立ち上げ、長崎県の離島振興に奔走しています。離島になぜ力を尽くそうと思ったのですか。
千野 今から10年ぐらい前でしょうか。私が阪急オアシスの社長だった時に、長崎県の中村(法道)知事(当時)から長崎は離島を抱えて色々な問題が山積しているので、県民が作った農水産物や加工品をグループで売ってくれないかという要請があったんです。それで長崎県の物産展を毎年、グループの一大イベントとしてやるようになったんですね。そんなご縁で私が19年3月にオアシスを辞める時に、中村知事の方から、退任されるのなら本格的に長崎のことをやってもらえないかと。ただ一旦はお断りしたんです。私は70歳まで頑張って、その後はのんびりしようと思っていましたので。
――それがなぜ承諾することに。
千野 ならば1年間だけ長崎県のシニアアドバイザーとして、色々な観点からご指摘をいただきたいと。それなら義理も果たせるしということで、お引き受けしたんです。それで初めて壱岐島、対馬島、五島列島などを見て回ったんですが、そこで離島のあまりにも厳しい現実を目の当たりにしたわけです。過疎化は想像以上で、実際1960年には長崎の離島に約33万人が住んでいたんですが、今は13万人ぐらいしかおられない。若い人は進学就職を機に島を離れ、残った島民は年々歳を取っていく。ですから例えば五島列島では昔はつま芋が年間6000トンできていたんですが、今は800トン程度です。逆に耕作放棄地はどんどん増えて、五島だけで1000ヘクタールに上っている。しかもこの過疎化、高齢化は今現在も進行しているんですね。