スギホールディングス(HD)の売上高6025億円(2020年度)、ドラッグストア業界で5位に位置づけ、グループ店舗数は、東名阪を中心に1427店(21年7月末)。一代で今日のスギHDを築き上げた創業者、杉浦広一氏が、21年5月、70歳を機に、代表取締役会長を退き、顧問に就くに当たって記した「理念継承」のための小冊子である。杉浦氏は、「理念を城に例えるなら堅固な礎石で築かれた土台であり石垣。それなくして天守は建ちません。私は、その石材一つひとつに思いや魂、心を入れ、堅牢なる基礎として残したいと思います」という。これは、この小冊子の縦糸である杉浦氏の一代記から読み解くことができる。
第1章は、「病との闘い、独立への挑戦」。どんな困難にもめげずに立ち向かう負けず嫌いは、全編を通して感じられるものだが、それは、生涯誰にも言うまいと思っていたことを本書で初めて明かすこととなった、中学時代に発症した目の病気に起因している。若年性白内障、若年性緑内障だけでなく弱視・近視・遠視・乱視、目の病気すべてが混じって発症しているような状況だったという。結果、蛍光灯の下でやる勉強は30分が限度。大人になってもパソコンやスマホが発する光に耐えられずガラケーで済ました。3万数千人の社員の中でパソコンをやらないのは私一人でしょうと述懐している。
追い打ちをかけたのは、一家の大黒柱である父親が喘息を患い身体を動かすことができなくなり、母親が行商で一家を支えるようになったことだ。来る日も来る日も早朝暗いうちから自転車に衣類や毛布を積んで山奥の田舎まで出かけ稼ぐお金はわずかなもの。母はそうやって家族の生活を必死で支えてくれたと記し、杉浦氏はここで「お金があっても買えないのは家族愛」と言い、我流の「3K」は、個人、家庭(家族)、会社の順で、会社は最後でいいという。
岐阜薬科大学を卒業、薬剤師の国家試験も通り、創業時の思いが、「一人の薬剤師として地域や社会のために何ができるか」、それは「この理念をいかに全社員に伝えるか」というスギHDの原点にもなっている。
第2章以下は、「地域や社会のために何ができるか」。その具体化への挑戦だ。町のかかりつけ薬局に始まり、理念経営と多店舗展開、スギブランド確立、1兆円企業、地域医療振興。この間ぶれずに推進したのが、調剤併設型ドラッグストアの開発。さらに在宅医療に歩を進めた。いずれもすぐには収益につながらないビジネスだが、地域社会への貢献、高齢社会への対応から、今日までその戦略を変えることはなかった。
家族愛の大切さを説くだけに根は優しい人と思わせるのが四人の登場人物への心配。一人は会長秘書。「目を含め、私が足りない部分を、手となり、足となり、目となり、頭となり、全部彼女がやってくれました。このことは書き記しておきたい」。自分の弱さをこの秘書だけには見せたのではないか。そして厚い信頼を置いた二人。一人は初期のスギ薬局を献身的に支えた薬品卸Fさん。そして今一人は開発のプロであり気遣いのIさん。両人とは死別しているがFさんとは桜、Iさんとは藤の花を一緒に見たことを楽しげに思い出深く語っている。
最後は夫人で相談役の杉浦昭子氏への心配り。それは二人三脚でスギHDを今日まで育て上げ、杉浦記念財団設立で地域医療振興の最終章へとつながっている。
スギの精神~7つの挑戦~ 〈著者〉杉浦広一 〈発行所〉スギホールディングス株式会社(非売品)