昭和で2度、蹉跌した人物が平成、令和で経営者として開花した。牛丼チェーン、すき家を創業したゼンショーホールディングスの小川賢太郎氏(享年77、冒頭写真)のことだ。石川県生まれ。1968年(昭和43年)に東京大学に入学。東大に入ると学生運動にのめり込んだが、仲間と議論していくうちに資本家と労働者との闘争に労働者側が勝利を収めるには自分が過酷な労働環境に身を置かないと革命は起きないとの考えに至り、東大を中退し、横浜で港湾労働者として働き、その機をうかがった。ところが70年代は欧州を中心に学生による社会変革の動きが急速に鎮静化してしまう。優秀な活動家も卒業すると会社や行政機関でエリートとして迎えられたからだ。これが最初の蹉跌だ。

 社会主義によって子どもの頃から考えていた「飢餓と貧困の解消」が難しいと考えるようになり、蛇蝎のごとく嫌っていた資本主義に「飢餓と貧困の解消」を委ねることになる。

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